Santa Cruz Cabrália、2019年5月
サンタクルス・カブラリアへ向かうため、私たちはサント・アンドレの前に錨を下ろした。そこは残念ながら「Villa do Sete a Um(7対1)」としても知られている場所だ。ブラジルサッカーワールドカップの間、ドイツチームがここに本拠地を構えていた。そしてブラジルにとってどんな結末になったかは、誰もが知るところだ。
川への入口は、Porto Seguroとは違ってかなり簡単だ。避けるべき砂州はあるし、リーフと平行に、しかもこんなに近くをエンジンで進むのはなんだか妙な感じだが、Porto Seguroほどではない。ただ潮のタイミングを合わせればいいだけ、それだけだ。
私たちは、友人のAllan Wardが強く勧めてくれたレストランLa Gaviotaの前に錨を下ろした。この錨地は、通過中の寒冷前線から良い避難場所となってくれた。そしてもちろんPedro Álvares Cabralにちなんで名付けられたサンタクルス・カブラリアを訪れるのに絶好の拠点でもあった。
丘の上の教会には興味深い特徴がある。塔がひとつしかないのだ(これまでブラジルで見てきた教会はすべて塔が二つあった)。塔の屋根の形は円錐形だ。教会に塔がひとつしかない理由は、税金逃れだった。二つ目の塔がなければ教会は未完成とみなされたからだ。塔の屋根が円錐形である理由についてはまだ分からないが、ブラジルにはこのような塔がもう一つしかなく、それはSalvador de Bahiaにあると聞いた。そこに着いたら確かめてみよう。
サンタクルス・カブラリアの教会
教会のそばには、なぜか完成しなかった建物の残骸がある。ここで興味深いのは、ポルトガル人がレンガだけでなく、クジラの骨やその油、さらには壁を作るための木炭まで使っていたのが見て取れることだ。
建物といえば、ブラジル人は何かがきちんと作られていないのを見ると、「feito nas coxas」という慣用表現を使う。直訳すると「太ももで作られた」だ。
どうやらこの表現の由来は、植民地時代にポルトガル人が奴隷に屋根瓦を作らせ、あの独特の形をつけるために太ももを使わせていたことにあるらしい。だから屋根瓦は、それを作った人の脚に合わせて大きさがまちまちだったというわけだ。これが本当なのか、それともただの言い伝えなのかは、誰にも分からない…
サンタクルス・カブラリアの遺跡
サンタクルス・カブラリアの町は二つの層に分かれて建てられていた。下の層、Joao de Tiba川の岸辺には漁師たちが住んでいた。教会がある丘の上には、権力を持つ人々が住んでいた。
私たちが着いたとき、川岸の魚市場はとても活気にあふれていた。
彼らの会話はあまり聞き取れなかったが、私が思うにここで起きているのは、この大きなビニール袋を持った男が売れ残りの魚を求めていて、魚をさばいている男が「そんなことより仕事を探せ」と言い返している、という感じだ。
こういうキャラクターは、世界中どこの魚市場にもいるものなのだろう!
次の寄港地は? Ilheusだ!
S/V Oroboro GPS track — Santa Cruz Cabrália, Brazil — May 2019 • GPSデータはRaymarineチャートプロッターより • 地図 © OpenStreetMap 貢献者
すべての錨地 — Santa Cruz Cabrália、2019年5月
寒冷前線から避難し、歴史あるCabráliaを訪れるため、サント・アンドレ川に錨を下ろした。
| 寄港地 | 日付 | メモ |
|---|---|---|
| Santo André — Rio João de Tiba | 2019年5月 | La Gaviotaレストラン · 寒冷前線からの避難 · サンタクルス・カブラリア日帰り旅行 |
錨地の地図
サント・アンドレ川の錨地の拡大海図。
Santo André — Rio João de Tiba
地図データ © OpenStreetMap 貢献者。GPSトラックはRaymarineチャートプロッターより、2019年5月にアーカイブ。